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| LEE BUL : From Me, Belongs to You Only (森美術館) |
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これは、、、よかった!!
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『断食芸人』という題の造形作品。
下はその一部、というか、ずっと端の部分。
続きを予感させるような、こういう先っぽが好き。
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一見グロテスクなものも、よくみるととても繊細に細かく作られていて
じっと見つめていると、ちりばめられたミラーに映る自分と
いきなり向き合うことになったりする。ビックリ。
音を体感する作品などもあった。メッセージが力強く、
頭も心も精神も感覚も、刺激受けました。
Lee Bulさん 韓国の女性。
2012/ 3/ 1
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オディロン・ルドン≪眼を閉じて≫(部分) オルセー美術館 |
学生の時、初めて行ったオルセー美術館で、
明かりを落とした部屋にひっそりとあった このルドンの絵
「あ、この人みてるんだーー。」と 深く印象に残った。
内奥をずっとみつめていくと 遠くまで俯瞰できるように思う。
でも どうせ何もみえたことにならないんじゃないか と思うこともある。
みえてるつもりにはならないようにしなきゃ。
と思ったところで、今日はもう考えるのよそう。
考えさせられる絵なんです。
2012/ 2/ 8
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| 線が気になっている |

斉白石筆「紫雪香清図」(部分) |
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筆墨の厚み・かすれ
銅板画では線の束によるふくらみ・奥行き・陰影
異なる色の配列による光彩の視覚効果
画の中の流線が書(文字)を形成していたり
「動き」にも跡をひく線が見える
こんなに線が気になるのは、
それまで無頓着だった ということかな。
2012/ 1/23
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ワークショップ 「ここだけにしかないダンス」
(ナビゲーター:黒子沙菜恵 主催:橋本久仁彦) |
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習ってきたこと カラダに覚えこませてきたこと
狭い常識やルールとか そんなのが通用しないところで
言葉でなく カラダにしゃべらせよう
自分はどんなふうに会話するんだろう
未知の自分 あるいは忘れてしまった自分との出会いを
楽しみにする気持ちとは裏腹に
そんなに簡単には正直に喋りださないカラダが もどかしい
一緒にいる人の’声’を聴く 聴きあって
その場その時だけのダンスが生まれる 実験みたいなWS
これが今年 私の踊りおさめ
2011/12/16
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| シルヴィ・ギエムのボレロ |
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’これを歌うために’、’これを踊るために’、
’これを創るために’、、
生を授かったと思える人たちがこの世にはいて、
ダンサーのシルヴィ・ギエム、作曲者のラヴェル、
振付のモーリス・ベジャール。彼らはそのような人たち。
ベジャールは、人間を 生身の身体を 愛していたんだなぁ。
ステージをみることができて幸せでした。
生きてることに素直に感謝。
2011/11/ 8
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| いま、みえる景色 |
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以前から楽しみにしていた舞踊の舞台を観たんだけど。
あらゆる「型」に違和感を覚える。窮屈に感じる。美しく見えない。
そういう自分に少し戸惑っている。
ほんの数年でまた見え方が変わってくるかもしれない。
でも今は、内面の声に正直にいよう。
2011/10/17
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| 舞踏の合宿 |
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山海塾の公演を観たとき、
地域や民族に関わりなく、世界の人々が魅了される、
あの固有の舞台、独特の動きは、
一体どういうふうに生まれるのか、創られていくんだろうか、、と。
そんな気持ちで参加した富山の舞踏合宿。
主催者の蝉丸さんの舞は、大地と交感し、天に捧げる
神聖な儀式のようでもありました。
表現者側が、何かを伝える 投げかける といつも考えていたけれど、
静かに 強く 光も影も すべてを受け入れるような、
そういうものがあるんだと初めて感じられた。
短期間だったけれど、小さいながらも確かにつかんだものがあって、
大事にしていきたいです。
2011/10/ 1
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| サウンド スケープ(音風景)論 |
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音を聞くと映像が浮かんでくることがあるし、
その逆で映像や風景を見て音が鳴ってくることもあるし。
楽器の音やフラメンコの足の音から、その人がわかるし。
音に合わせて踊るとか、身体で音を出す、なんて普通に言ってるけど、
ホントにはどういうこと??
などと思う日々の中、必然に出会ったサウンドスケープという言葉。
レクチャーとピアノライブを一般の人が手の届くところで
定期的に行っている小松正史さんは、
昨年、ダンサーとの即興パフォーマンスがすごく面白くて
また聴きたいと思っていたアーティストの方。
レクチャーを聞いていて、感性はもとより、
緻密な理論やあくなき探求に裏打ちされてこその、
自由度の高い、効果の大きい即興なのだと、、納得。
2011/ 9/ 7
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| 『私、ジョージア』 |
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ジョージア・オキーフの人生を
詩のように簡潔な絵と言葉で綴った絵本。
きっと、長い伝記を読むよりも、ずっと近づいた感じにさせてくれた。
描かれているオキーフの生き方も憧れる。
ずっと大事にしていて、今では自分の一部のようになってるみたいな本。
詩人が送る絵本 2
ジャネット・ウィンター 作・絵 長田弘 訳
2001年、みすず書房
2011/ 8/ 9
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| アーティストの役割 |
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’アート’、’自然’、’子ども’、’未来’をキーワードに、
自然の中で造形教室を開くなどの活動をしている友人、
画家のますもとえりこさん。
地域の文化遺産である古民家で子どもにお話し会を行った際、
子どもたちが成長し、これら古い建物の存廃を考えるときに、
豊かな思い出と重なって保護を唱えてくれることを期待して、、
のイベントだったことを聞きました。
表現者にありがちなエゴや虚栄が全くみられず、
何のために自分の活動があるかがいつも明確で、
彼女を通して、社会の中でアーティストが担える力の
大きさとか広がりとか、可能性とかを想います。
2011/ 7/29
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| イラクの空 |
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震災を契機に、積極的 又は 消極的に、
インスパイアされた作品と多く出会いました。
それらの創造物の多くは、心が存在し、
本当の声をきかせてくれるものだった。
写真は、イラクで働いている友人が送ってくれました。
空も地も、すべてつながっている。
2011/ 7/ 2
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| way to live |
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福島の原発事故で放射能漏れのニュースを聞き、まず浮かんだのは、
「なぜ、日本なんだろう。
この事故は決して日本で起こしてはいけないはずなのに。」
大江健三郎氏がアメリカの雑誌に、
日本は広島の原爆から何を学んだのかと問う文章を寄稿されたそうです。
長崎と広島に原爆が投下され、
今なお多くの被爆者が苦しんでいるこの国が、
またしても放射能の恐怖を世界に発している。
地球上の小さな島に過ぎないのに、ここは世界に対して
一体何を背負っているんだろうと空恐ろしく思います。
原発や基地の問題など、一部の地域に危険を負担してもらうような
「便利」で「平和」な暮らし方・社会のあり方が問われています。
震災と津波により犠牲になった方々、
一瞬にして大切なものを奪われてしまった方々に、
悲しみの気持ちを寄せて。。
自分にできることをこれからも考えていきます。
2011/ 3/23
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| 伝わる |
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学生時代の友達がバンドでボーカルをしていて、ライブがありました。
その自然で飾りのない演奏から、音楽が好きな気持ち、
長く育んできたもの、一緒に成長してきたであろうこと、
そしてなによりメンバーがお互いを大切に想ってることが
真っ直ぐに伝わってきて、胸がいっぱいになりました。
遠くへ行ったり費用をかけてこそ得られるものがある一方で、
身近なところで大切なことを教わります。
2011/ 2/25
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表現塾
武道家・日野晃氏による身体のワークショップ |
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役者やダンサーなど身体表現を志す人を対象とした短期集中WS。
ステージでのリアリティという、ずっと抱えている問題意識について
何かを見いだせるような気がして参加してきました。
「○○風」とか、「段取りのおさらい」をしているに過ぎないような
作りもののステージ。
また、伝えている’つもり’、聴いている’つもり’の
希薄な人間関係で成り立つ作品。
それらがいかにたくさんまかり通っているか。
そんなことをしてきたんじゃないか。
そういう場所から何が生み出されるんだろうか。
今後自分の経験に照らして折に触れて思い出し、
学ぶきっかけとなっていくのだろうと思いました。
2011/ 2/17
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| カラダひとつで。 |
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自分のカラダひとつ持っていけば、どこでも踊れる。
どんな楽器とでも、静寂も含めてどんな音でも踊れる。
誰とでも対話できる。
そんな風になりたいと思い始めたのはいつ頃からだっただろう。
自由になりたいという気持ちや、
自由であるためには強くなくてはならないことに
気づいたのはもっと前のこと。
「カラダが楽器!」と名前をつけたワークショップは、
心のそんな部分に端を発しています。
先月に行ったワークでは、誰でも皆、
踊りたい、人に喜んでもらいたい、といった欲求を
根本に持っていることを改めて確認する場となりました。
みなさんありがとう。
また継続して発展させていきたい活動です。
2011/ 1/13
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| アンヌ・テレサ・ドゥ・ケースマイケル |
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Rosas(ベルギーのダンスカンパニー)のAnnne Teresa De Keersmaeker
による、『3Abschied ドライアップシート(3つの別れ)』を観ました。
小編成アンサンブルによる演奏とメゾ・ソプラノの独唱、
アンヌテレサのソロ・ダンスによって、
マーラーの『大地の歌』<告別>に「応える」試み。
1世紀も前につくられた音楽に魅了される現代のわたしたち。
宝石のように扱って維持するのではなく、
彼女の挑戦は、今自分たちが生きている現実のなかで解釈し、
現在の文脈の中でよみがえらせ問いかけること。
「死を受け入れる」ことを身体で表現する困難と葛藤を、
小手先でまとめることなく、ありのまま舞台に乗せていました。
深い闇の中で踊る彼女は、まったく自由そのもので美しかった。
すごく感情移入しながらみていました。
感動しました。
2010/11/ 1
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| 作品鑑賞後に思ったことは・・・。 |
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ヤン・ファーブルの舞台、"Another Sleepy Dusty Delta Day"と
イヴ・サンローランなどのデザイナーである
トム・フォード監督の映画、"A Single Man"。
たまたま同時期に観まして、偶然にも生と死のテーマが共通していて、
大切な人を失った後の人間が描かれていました。
それぞれに異なる美意識の世界にとっぷり浸った後、、、
思考は転々としていきまして、、、
・・・・・多少、唐突ですが、
自らの内的世界を外に出しそれをしっかり伝えようとするならば、
細部まで徹底させる必要があることを、今更ですが思い至りました。
結果としてexcuseになってしまうような要素を
解決しながら進めていくのも課題です。
2010/10/ 7
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| Art Brut −アウトサイダー・アート− |
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"brut"とは、「生(き)のままの、加工されていない」
という意味のフランス語。
あらゆる次元で a la mode とは無縁に
制作されているアートであることから、
結果的に障害を持つ人の作品であることが多い。
評価は念頭になく、表したい衝動そのものである作品は、
世界のどの文化・時代をも感じさせない、
まさに人間の普遍的で根源的なものを突き付けてくる。
機会があると、施設などに踊りにいかせていただくことがあります。
それは何かをしてあげる風なボランティア精神からではなくて、
私自身がそうした「表れ」に触れて感じたいから。
2010/10/ 5
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| ハーモニー |
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合唱する時、周りの声をよく聴いて、そこに自分の声を入れていくと
心が開いて美しい和音になることを教えてくれた先生がいました。
建築家の父は、建築は音楽なんだよと、話してくれました。
建築でも、風景や絵画でも、
そこから音楽が聴こえてくるように感じることがあり、そういう時は、
そこに調和があるからなんだろうと気づいたのはわりと最近のことです。
ハーモニーであると、美しく遠くまで響くのだろうな、
といったことを、今日は考えていました。
2010/ 8/ 9
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| Still Life |
Still Lifeを静物画とする訳が、何となく腑に落ちないでいました。
先日、舞台衣装「ナジャハウス」のデザイナー、立川さんに
制作していただいた衣装が出来上がりました。
部屋に入ると、その衣装は圧倒的な存在感でオーラをまとっていて、
まるで意思を持つ「生き物」が静かに威厳をもって佇んでいる様子。
衝撃の対面でした。
魂が込められた静物。静かな生命。
あ、これは「Still Life」。
そういえば、踊っている時、体は静止していても内側ではパッションや
エネルギーが巡っている。そんな状態もきっとそうだ。。
素晴らしいお仕事を目の前に、
様々な想いがよぎってしばらく言葉がありませんでした。
純粋に、こんな仕事ができるようになりたいと思いました。
2010/ 8/ 4 |
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| 土の匂いのする人 |
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赤穂でのこと。散策していたらある農家の敷地内に入ってしまいました。
畑を耕していたご主人が、せっかく来たからと、
花の枝を折って分けてくださいました。
ー土の香りがしました。ー
人間に根っこが生えてるみたいな印象です。
草花を大事に育てたり、食べることを丁寧にしている友人が
周りにたくさんいます。
日常を大切に暮らしている人は、強いです。
畑で曲がった背中や皺のある手。
東洋人の華奢な骨格・優しい顔つき。
そういった身近なものが、無性に美しく感じられます。
2010/ 6/30
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| 記憶のある風景 |
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画家である友人の作品を見て思い出した、
アウシュビッツ=ビルケナウ強制収容所。
ここへの訪問は人生観を変えてしまうような大きな出来事でした。
悲惨な過去を閉じ込めた遺跡のような古い建物の周りには、
ポーランドの美しい自然がどこまでも広がり、
近くの民家では変わらぬ日常が営まれているのでしょう。
これと似たような感覚は、瀬戸内海の島にもありました。
瀬戸内の静かな海と休暇を過ごす人々の笑い声の中、
ひっそりと遺されている戦時中の毒ガス製造所。
時の流れを感じさせるコントラスト。風化させてはならない遺物。
歴史の背景がみえる景色は、人の心の風景のようです。
2010/ 5/ 3
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| 竹細工の音 |
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竹細工のお店で、観光客たちが店頭にあるおもちゃを鳴らしていた。
私も交じって音を楽しんでいたら、ふいに誰かの音と共鳴して、
そちらを見ると車いすの少年がいた。
周りでは自分の音に夢中な人たちの中、
お互いに目が合ってほほ笑みを交わす瞬間があった。
彼はおそらく、普段から、
あらゆる音を敏感に体全部で聞いているんだろうな。。
2010/ 3/ 1
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短編アニメーション 『岸辺の二人』 (原題:Father snd Daughter)
Michael Dudok de Wit監督、イギリス=オランダ=ベルギー制作、2000年 |
台詞はなく、わずかな色彩にアコーディオンとピアノの背景音楽のみ。
描かれているのは、人を想い続ける気持ち。
わずか8分の作品ですが、2時間映画を見終えたような気がします。
父を亡くした時に友人がDVDを貸してくれて、
それ以来、とても大切な風景として心に残されました。
こんな風に心を埋める芸術作品が存在することや、
友人がいることは幸せなことです。
2010/ 2/25 |
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| CD 『 Raices y Alas 』 カルメン・リナーレス、2009年 |
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スペインの詩人である、『プラテロとわたし』等の
J.R.ヒメネスへのオマージュ作品。
カルメン・リナーレスは最も好きなカンタオーラで、
ヒメネスの詩も好きなので、よく聴いています。
情景が浮かんできて、空気や匂いをいっぱいに感じます。
しばらく、「言葉を介さない表現手段」をテーマに
広く関心を持ってアプローチしてきたつもりですが、、
心を打つ詩に出会うと、あらためて言葉の力の強さを感じます。
2010/ 1/10
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| CandoCo(カンドゥーコ) Dance Company |
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身体障害のあるダンサーを含む
イギリスのプロフェッショナル ダンスカンパニー。
今月、ワークショップを見学する機会を得ました。
ウォーミングアップやストレッチひとつにしても、
創意工夫でいろんなやり方がある。
それは、対象者の身になり想像力を働かせることからできること。
イマジネーションの大切さを学びました。
踊りは時に、祈り、情熱、メッセージなどでありますが、
今回は、「ダンスは、他者へのリスペクトである。」
という側面を確信したのでした。
2009/12/31
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| パリ・オペラ座バレエ |
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映画『パリ・オペラ座のすべて』を観ました。
オペラ座を訪れた時、バレエはもちろん、
オーケストラ、舞台装置、照明、衣裳、ガルニエ宮の建物といった全ての
総合芸術に圧倒されたことを今でも鮮明に思い出します。
伝統や古典のレパートリーを大切に守りながらも、
最新のコンテンポラリー作品を積極的にどんどん取り入れる。
双方の精神をバランスよく維持しているところが、
このバレエ団に特に惹かれる理由だろうと再認識しました。
2009/11/26
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| GAGAの体験 |
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イスラエルのダンスカンパニー「バットシェバ舞踊団」で開発された、
『動きのメソッド』。
即興で、自分の想像と身体の動きを直結させ、
したことのない動きをしてみる。。。初めての体験でした。
GAGAのおもしろかった点は、これを経験をしたことによって、
自分の中で、何かが今までとは確かに変わったと実感したことです。
「振付を踊る」ということについて、新しい視点が加わりました。
2009/10/24
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劇場公演 『DANCE OF DEATH〜生きるよろこび〜』
マリ子ダンスシアター主催、京都府立文化芸術会館、9月22日・23日 |
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海外から招聘したコンテンポラリー・ダンサーと高安マリ子氏、
及び、プロ、アマによるダンサーに加え、
聴覚言語障害のある方々を加えての混成舞台。
それぞれが役割を担い、依存ではなく、
共存・共生が見事に体現されていて、
特に、フィナーレの、出演者と観客の笑顔がとても印象的でした。
心身を鍛えたプロのダンサーによるステージこそが良いものだ、という
固定概念が覆される舞台でした。
2009/10/14
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DVD 『ミツバチのささやき』
スペイン映画、ビクトル・エリセ監督、1973年 |
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舞台はカスティリヤの平原にある静かな村。
南のアンダルシアとは全く異なる情景が広がります。
厳選された数少ない言葉、音、色彩。
荒涼とした大地を渡る風。
いつ見ても、多くのインスピレーションを受ける作品です。
2009/ 8/ 9
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